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【逆転の経営】第5回 -生意気でうるさいけれど意欲ある職員こそが原動力-

【逆転の経営】第5回 -生意気でうるさいけれど意欲ある職員こそが原動力-

【逆転の経営】第5回 -生意気でうるさいけれど意欲ある職員こそが原動力-

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たくさんの医療・介護施設をどうやって管理しているのか
最近、よく質問を受けるのは、「これだけたくさんの医療・介護施設をどうやって経営管理しているのか?」ということです。それに対して「管理していません」「管理しなければならないようであれば、施設をつくりません」とまじめに答えています。
私の経営者としてのスタートは不幸でした。実質放漫経営で倒産した東京・銀座の救急病院を、副院長だった父が引き取らざるを得ない状況になり、銀行員だった私が借金の保証人のなり、再建したのです。私が27歳のときの話です。
今もまた、病院経営の困難な時代となりましたが、その当時もすでに、150床以下の中小病院は成り立たないといわれていました。銀座の1丁目から、8丁目まで距離にして1キロほどありますが、医師会名簿を見ると、80件くらいの診療所がありました。その当時、銀座で唯一最大規模の救急病院であっても、77床の経営難の中小病院でした。
虎ノ門病院から移ってきた父は、経営のことは詳しくありませんでした。でも、息子の私から見ても、熱心で良心的な尊敬できる内科医でした。忙しい仕事ぶりは、子供でも理解できました。日曜日に家族でドライブに行くときも、まずはどこかの大学病院に朝一番に寄っていきます。自分が紹介して入院した患者様の様子を見に行くのです。いや、担当の医師に「よろしくお願いします」とあいさつに行くのです。
日曜日など若い当直医しかいません。それでも、ていねいに頭をさげてあいさつする父の姿を見て、「医師とはこういう人のことなんだ」と感じ、その父を尊敬してきました。私が医師にならなかったのは、正直言うと、「とても父みたいにはできない。比べられたらたまらない」と考えたからでした。

決算賞与の成功体験と職員リストラのトラウマ

父以外の医師もスタッフも優秀でした。でも、幹部たちは業者と癒着して不正をしていました。私の医療経営の仕事のスタートは、スタッフを働かせることではなく、すべての業者を公開入札によって入れ替えることでした。業者が変わると、その幹部たちも辞めていきました。
でも、その人たちは、「自分は優秀な医療をしているのだから、病院は赤字で当たり前だ」と公言していました。「でも、それではまた倒産しますよ」と私が言っても、「それは経営者の問題で、医師や技師の自分たちは関係ない」と言います。医師は科学者なのです。
銀行員だった私には理解できない人たちでした。だめな人を働かせるのではなく、優秀な人が立派なことをしているのですが、それを赤字にしないようにするのが、医療経営者の仕事なのだと肝に銘じました。
経営数字を職員に公開して、「もしも黒字になったら、決算賞与を払います」と公言して、医療法人の常任理事となりました。初年度半年で、意外にも400万円の利益が出たので、全職員平等に4万円の決算手当てを支給しました。
看護スタッフからは「けちくさい」とも言われましたが、給食や清掃の年配の女性職員からは本当に感謝されました。経営者としての成功体験であり、喜びを感じました。今でも利益は毎年、賞与と新規施設に投資し、すべて内部投資してきたことで、今があるのです。
でも、つらいこともありました。それは、救急病院を続けられず、診療所にリストラしたことです。その結果、都内最小の病院から、民間最大規模の診療所に生まれ変わりました。
利益も3倍になり、経営的には大成功でしたが、そのために病棟職員は解雇したのです。医師や看護師はいくらでも職場がありますが、清掃と厨房の職員からは、「この病院で働いていたことを誇りに思っていたのに悲しい。経営者は謝ってほしい」と泣きながら言われました。職員に頭を下げたときのことは忘れられません。今でも、そのときのことがトラウマになっています。
リストラするくらいなら、いくら借金が増えても、人を採用し、昇給させたい。そう実感し、実行してきました。正直言って、医師だけではなく、優秀で行動力のある職員は使いづらいものです。いや、「使おう」と考えること自体が思い上がりなのかもしれません。

価値観の違うスタッフの挑戦を応援する「観客」

診療方針も看護方針も介護方針も、人によって考え方が違います。私は、多くの価値観を尊重します。じつはたくさんの施設ができたのは、価値観の違うスタッフのために、別の施設を実験的につくってみたという側面もあるのです。
大病院や大施設を作ったほうが、経営的には効率がよいと思います。でも、私は、「赤字でないなら、この人に好きなように施設を経営させてみたい」「この人が名前をつけ、この人が家具を選び、この人がかわいがって育てた人を幹部にしよう」。そういう喜びを原動力に、湖山医療福祉グループは成長してきました。
私と違った「DNA」(経験、能力、価値観など)をもっていて、私より優秀で意欲のある人を応援し、皆で支えると、どのようなすばらしい病院や施設ができるのか、私自身が「観客」になって、わくわくしてオープンを見守っているのです。
ひとつの施設、ひとつの組織だと、たとえ優秀であっても、そのなかで気の合わない職員同士は、いずれかが辞めていかざるを得なくなるケースがままあります。どちらも優秀なのですが、両雄は並び立たないのです。
「それだったら、二つの法人、二つの施設で、それぞれ競ってみたらよい」と考えたのです。私が経営者として関心があったのは、じつは、患者様でも、医師会でも、利益でもなく、目の前の、生意気でうるさいけれど、意欲のある職員だったのです。それが、湖山医療福祉グループを、ここまで拡大できた理由であり、この事業規模が維持できている理由でもあるのです。